himawari_diary7のブログ

4歳娘・1歳息子の2児のママです♪

限りある時間の使い方を読んで

こんにちは!少し時間が空いてしまいましたが、先月、以下の本を読みました!Amazon等で高評価だったので、面白いのかな~?と思い、買って読んでみました!
限りある時間の使い方 オリバー・パークマンさん著

 
前半は「結局、人生なんて、広い視野(長い歴史)で見ればたいしたことない、しょうもないから、諦めろってことなのか??」と思って、「なんなんだこの本!?」と思っていたのですが、そんなことが言いたい本ではないことがわかるようになると、後半は楽しく読めました!
書いてあること、あてはまることが多い…!
 
今まで読んだ本にも通じることですが、”今ここ”を精一杯、楽しんで生きること、とっても大事だな、と思いました!
 
以下、「そうだな」「ほお~」と思った点の抜粋です!たくさんあります!
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時間を「使う」ようになった僕たちは、「時間をうまく使わなければ」というプレッシャーにさらされる。時間を「無駄に」すると、なんだかすごく悪いことをした気分になる。
 
問題は、こういう時間の捉え方が、人生の難易度を極端に引き上げてしまうことだ。どんなに必死で頑張っても、まだ何か足りない気がする。もっと速く、もっとたくさんやらなければ気がすまない。
僕たちは時間をあるがままに体験することをやめて、「今」という時間を未来のゴールにたどり着くための手段に変えてしまった。今はまだ楽しむ時じゃない。いつかタスクがすっかり片付いたら、そのときこそリラックスして楽しもうとというわけだ。
 
今を生きることができなくなり、未来のことしか考えられなくなるのだ。
 
自分の時間は、あまりにも短い。その事実を直視するのは怖いことだ。
 
現実を直視することは、ほかの何よりも効果的な時間管理術だ。
 
限界を受け入れるというのは、つまり「何もかもはできない」と認めることだ。
 
自分ができる以上のことをやり遂げなければ、満ち足りていると思えない。楽しい活動をいくら詰め込んでも、どこか満足感が得られないのはそのせいだ。
すばらしい体験をすればするほど、「もっとすごい体験をしなければ」と思うようになり、結果的に無力感が増していく。
 
すべてを効率的にこなそうとするのではなく、すべてをこなそうという誘惑に打ち勝つことが必要だったのだ。
 
楽しいことをすべて体験したいという衝動に打ち勝ち、すべてを体験するのは不可能だという現実を受け入れよう。自分に体験できるのはほんのちっぽけな一部分だけだと理解していれば、まだ体験していないことがたくさんあっても焦らなくて済む。自分に許された数少ない体験を、心から楽しめるようになる。
 
人はいつだって、何かを選び、他の多くのものを捨てて、喪失感に耐えなくてはならない。
 
一つひとつの決断は、目移りするほど素敵な可能性のメニューから何かを選べるチャンスなのだ。そう考えるなら、「選べなかった選択肢を奪われた」という被害者意識を持つ必要はまったくない。
 
選べなかった選択肢を惜しむ必要はない。そんなものは、もともと自分のものではなかったのだ。あなたが何を選ぶとしても、家族を養うためにお金を稼ぐ、小説を書く、子どもをお風呂に入れる、ハイキングに出かけて地平線に沈む淡い冬の太陽を眺める、それはけっしてまちがいではない。
本当はなかったかもしれない貴重な時間の過ごし方を、自分自身で選びとった結果なのだから。
 
何かを失うのは、当然のことだ。だから、もう心配するのはやめて、手放そう。
 
進むべき方向はただひとつ、自分が選びとった未来に向かって前進するだけだ。
 
注意を向けることが、献身の始まりである
 
老後の安心を確保したい、やることリストを絶対終わらせたい、そうやって未来をコントロールしようとあがく態度こそ、自分の限界を認めようとしなき僕達の悪い癖だ。本当はどんなに未来を心配しても、時間との戦いに勝てるわけがない。先のことは決して確実にならない。未来はいつでも、伸ばした手の少し先にある
 
未来を良くしようという努力には何の問題もない。本当の問題は、その努力が成功するかどうかを、今この時点で確実に知りたいと思う心理にある
 
過去は変えられず、未来はどうなるかわからない。そう考えれば、古代から多くの思想家が「今ここにある現在」に注意を向けなさいとアドバイスしているのもうなずける。
明日のことを心配してはなりません。明日のことは明日が心配してくれます。
 
何が起ころうと気にしない生き方とは、未来が自分の思い通りになることを求めず、したがって物事が期待通りに進むかどうかに一喜一憂しない生き方だ。
 
「いつか何かをしたら」というマインドの人は、まだ大事なことが達成されていないせいで現在の自分が満たされないのだと考える。
でもそんな考え方をしていたら、いつまで経っても満たされることなんてない。
 
今を生きるとは、今ここから逃れられないという事実を、ただ静かに受け入れることなのかもしれない。
 
もう余暇すらも、やることリストのひとつになぅてしまった。
 
現代に生きる僕たちは、休みを「有意義に使う」とか「無駄にする」という奇妙な考えにすっかり染まっている。将来のためにならない過ごし方をすると、なんだか悪いことをしたような気分になる。
 
余暇を無駄に過ごすことこそ、余暇を無駄にしないための唯一の方法。
何の役にも立たないことに時間を使い、その体験を純粋に楽しむこと。将来に備えて自分を高めるのではなく、ただ何もしないで休むこと。
 
あなたの日々は完全無欠の未来のための準備期間ではない。
 
何らかの達成を目標とするのではなく、ただ活動そのものを楽しむこと。
 
無益なことを追求する自由。何も気にせず、下手くそなことを楽しむ自由。心が洗われますよ。
 
現実の速度をコントロールしようという幻想を捨てた時、現実が本当の意味で自分のものになった。
 
わからないという不快感に耐えれば、解決策が見えてくる。
難しい問題に直面した時、僕たちは未解決の状態に耐えられず、とにかく最速でなんとかしたいと思う。コントロールできないという不快感を逃れるためなら、本質的な解決策でなくても気にしない。
 
忍耐を身につける3つのルール
1.問題がある状態を楽しむ
何も問題がない状態に到達できるのではないかという幻想を抱いている。
すべての問題を解決済みにするという達成不可能な目標を諦めよう。そうすれば、人生とは一つ一つの問題に取組み、それぞれに必要な時間をかけるプロセスであるという事実に気づくはずだ。
 
2.小さな行動を着実に繰り返す
もっとできると思っても途中で思い切ってやめることで、忍耐の筋肉が鍛えられ、何度もプロジェクトに戻ってくることができる。そのほうが長期的に見れば、ずっと高い生産性を維持できるのだ。
 
3.オリジナルは模倣から生まれる
かけがえのない成果を手に入れるのは、たっぷりと時間をかけることが必要なのだ。
 
時間を意味のあることに使うためには、友達と遊んだり、子育てをしたり、ビジネスを立ち上げたり、政治運動に参加したり、
他人と協力することが不可欠だ。
 
時間は自分のものになりすぎないくらいが、実はちょうどいいかもしれないのだ。
 
どんな仕事であれ、それが誰かの状況を少しでも良くするのであれば、人生を費やす価値はある
宇宙的無意味療法は、この壮大な世界における自分のちっぽけさを直視し、受け入れるための招待状だ。4000週間と言うすばらしい贈り物を堪能することは、偉業を成し遂げることを意味しない。
 
人生はどこまで行っても、解けない難題の連続だ。その気づきと共に、私の心には深い平穏の海が広がった。
 
人はある年齢になると、衝撃的なことに、自分がどんな生き方をしようと誰も気にしていないことに気づく。自分のことを気にしているのは自分だけなのである
 
誰に認めてもらわなくても、自分はここにいていい。
 
 
どうせいつまでたっても手探りで、確信のないままやるしかないのだから、尻込みしていても仕方ない。
 
「次にすべきこと」を実行するのが、いつだって、自分にできる唯一のことだからだ。たとえ正解がわからなくても、とにかく次にすべきことをやるしかない。それしかできないということは、裏を返せば、それしかしなくていいということだ。
 
どれだけ多くの人を助けたとか、偉業を成し遂げたとか、そんなことは問題ではない。時間をうまく使ったといえる唯一の基準は、自分に与えられた時間をしっかりと生き、限られた時間と能力の中で、やれることをやったかどうかだ。
 
人の平均寿命は短い。
安心してほしい。到達不可能な理想を、ようやく捨てることができるのだから。どこまでも効率的で、万能で、傷つくことがなく、完璧に自立した人間になることなど、はじめから無理だったと認めていいのだから。
さあ腕まくりをして、自分にできることに取りかかろう。
 
特定の結果を望み、そうならないことを恐れるよりも、次に何が起こるだろうとわくわくしながら生きてみよう。
 
親切な行動は、即座に実行してしまおう。
 
何もしない練習をする。

家族のトリセツを読んで

こんにちは!

以下の本を読みました!

妻のトリセツがとっても面白かったので、こちらも読んでみました!

こちらもためになる内容でした~!

 

家族のトリセツ 黒川伊保子さん

 

以下、印象に残った点です。

 

才覚は必ず欠点とともに、脳の中に存在する
 
ぼんやり、ぐずぐず、ぱなしを完全に治してしまったら、個性が消える。
 
何度もイライラすることがあったら、家族を治すより、やり方を変える方が、ずっと楽である。
 
男性脳と女性脳は、生物としての設計上、とっさの使い方が真逆の組み合わせなので、このことを知っておかないと、家族は辛くなるばかり、人生は過酷になるばかりだ。
 
他人の評価をまったく気にしない強さか、弱点をチャーミングだと思って、甘やかし、支えてくれる人が要るということだ。それこそが、家族の真の役割なのではないだろうか。
 
家族の見方を変えよう。世間の目を判断基準にして、家族を断じない。欠点を、多少は正しても、それを愛おしいと思う視点を忘れない。世間を敵にしても、家族と連帯する。
 
こういう親の子は、一流になれない、
それは、結果にコミットしすぎる親。親が結果に一喜一憂すると、子どもは失敗を恐れるようになる。親は、子ども以上にがっかりしたり、有頂天になってはいけないのよ。
 
他人に認められる答えかどうかは気にしたことがない。だって、確信は賞讃よりもずっと気持ちいい。迷わない、疑わない、逃げない、他人の目が気にならない…。そうやって生きられる気持ちよさのためには、富も賞讃もいらない。
 
正しい失敗の仕方
失敗を恐れず、挑戦すること。
失敗してしまったら、潔く認め、きちんと胸を痛めること。
今夜、頭がよくなると信じて、清々しい思いで眠ること。
 
志は高く、結果に無頓着
 
失敗した家族の心を癒す言葉
模擬試験当日の朝、受験票がないと慌てる子どもに、「母さんも、夕べ一緒に確認してあげればよかった」
これを言い合える家族は、豊かだと思う。
 
ちゃんとアナウンスしたのに、打ち合わせ時間を間違えた相手に、「忙しい方なのだから、昨日、もう一度リマインドすればよかった。気がつかなくてすみません。」このセリフを言える人は、脳内の責任範囲が広い。これが、周囲の脳には、リーダーの風格として映るのである。
 
他人の失敗を責めない人は、自分の失敗にもビビらない。他人を許せる人は、自分のことそれも、他人が許してくれると無邪気に信じられるので、リラックスして生きていける。
 
失敗した時、痛みに共感してくれ、私もできることがあったはず、と悔やんでくれる。ともに善後策を考え、安らかな眠りをくれる。ありのままの自分を、穏やかに認めてくれて、小さな幸せをへ共に喜んでくれる親がいる。そんな家なら、おとなになっても帰りたい。
 
どの家族にも、その家族独自のルールがあったほうがいいと思う。しかも、そのルールは、他人から見たら眉を顰めるような、ちょっとした背徳感があるもののほうがいい。
 
家族は正反対の資質の集まり
 
美しい母親が、おっとりと嬉しそうに寄り添ってくれている。世間の目を気にして、ビビらない。イラついたり、自慢したり、卑下したり、威嚇したりしない。ただ、行く道を見守ってくれる。
それは、子どもを無邪気さの繭で包む、母の魔法なのだろう。
⇒これ、大事だな、って思います。こんな母親になりたい…!
 
家族に世間を持ち込まない。他人の闇を探らない、皮肉な口を利かない。いい子、ダメな子を口にしない。甘やかしの基本ルールである。
 
失敗は責めなくていい。
コップを割った人は、「大丈夫?」「ケガはない?」と言われて、抱きしめてもらえる。片付けは他の家族がやる。なくしたものは、家族全員で捜索する。
 
出勤前のバタバタしているときに、ついでの用事なんか頼むお母さんが100%悪い。ごめんね。
→こんな言葉かけされたら、嬉しいよね。
 
出かける妻に、どこに行くんだ?何時に帰る?といきなり声をかけるのも、ちょっと待ってほしい。専業主婦の妻の側に、主婦は家にいるものという思い込みがあって、出かけることが後ろめたいのである。
美容院に行ってくるね〜と明るく家を出ればいいだけでは?
家にいて、お茶も淹れてあげないといけないし、宅配便のピンポンからも守ってあげなきゃ、なんて考えていたら、追い詰められる一方だ。ここは、無邪気に家を出ればいい。
 
どうして?ではなく、どうしたの?
 
日本の子育てが、ゴール設定に満ちている。ご飯をさっさと食べさせて、宿題をやらせて、風呂に入れて、翌朝、無事に送り出すという短期目標。試験に合格させるという中期目標。立派な大人にするという長期目標。かくして、宿題やったの?学校どう?どうしてプリント出さないの!という問題解決型の対話だけで、日々が過ぎ去り、いつの間にか子どもは大きくなって、家を出てしまう。
これが実は大問題なのだ。大人になった子どもと、楽しい会話ができない。
 
心の対話は、相手のことを尋ねるのではなく、こちらの話から始める。話の呼び水。
 
家族の会話は、夫婦のみならず、親子でも、まずは相手の感情を受け止めることから始めよう。たとえ、絶対的に妻や夫や子どもが悪くても、彼や彼女の敵を責めることから始める。公平で客観的な視点のアドバイスは、その後で。圧倒的に肩を持ってあげれば、なんと本人が公平になってしまうのである。
 
子育てを終えて、息子が三十近くなった今、しみじみ思うことがある。
自分を追い詰め、子どもを急かして必死に生きた時間ももちろん大事だったのだろうが、振り返ってみれば、ゆるい時間こそが息子を育み、家族の絆を作ってくれた。
 
家族は、甘やかしていい。
自分も、甘やかしていい。

嫌われる勇気を読んで

こんにちは!

最近、読書ブームが続いています!(これからも続けていきたい!)

以下の本を読みました!

嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え 岸見一郎さん 古賀史健さん

 

とっても長くて、読むのに時間がかかった…そして書いてある内容も難しい…!

でも「その通りだよな~」と納得する部分も多く、こんな生き方ができたら、見える世界も変わるんだろうな…と思えました!

以下、印象に残った点です。(生きていく上で大切だな、と思った箇所や「そうだよな~」と思った箇所なので、たくさんあります!)

 

すべての悩みは対人関係の悩みである

 
劣等感は、別に持ってもなにも悪いものではない
劣等コンプレックスは、劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態
 
自らの不幸を特別であるための武器として使っている限り、その人は永遠に不幸を必要とすることになる
 
誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいい
 
健全な劣等感とは、他者との比較の中で生まれるものではなく、理想の自分との比較から生まれる
 
他者の幸福をわたしの負けであるかのようにとらえているから祝福できない
 
人々はわたしの仲間なのだと実感できていれば、世界の見え方はまったく違ったものになります
 
誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらはいずれも負けではありません。
 
行動面の目標が二つ
①自立すること
②社会と調和して暮らせること
 
この行動を支える心理面の目標として
①わたしには能力があるという意識
②人々はわたしの仲間であるという意識
 
ひとりの個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるをえない対人関係。それが人生のタスク。
 
仕事の対人関係で、つまずいてしまったのが、ニートや引きこもりと呼ばれる人たち
 
交友の対人関係
恋愛関係、親子関係
 
なにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか
 
他者から承認される必要はありません。むしろ、承認を求めてはいけない。
 
他者の期待など、満たす必要はない。
 
他者もまた、あなたの期待を満たすために生きているのではない。相手が自分の思うとおりに動いてくれなくても、怒ってはいけない。
これは、我が子も同じ。日常の些細な言動でも自分の希望通りに動いてくれない。
 
相手が自分の希望通りに動いてくれなかったとしてもなお、信じることができるか、愛することができるか。アドラーの語る愛のタスクには、そこまでの問いかけが含まれています。
 
他者の課題は切り捨てる
 
自らの生について、できるのは、自分の信じる最善の道を選ぶこと
その選択について他者がどのような評価を下すのか、これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話。
 
自分を変えることができるのは、自分しかいない
 
他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない
 
嫌われたくないと願うのは私の課題かもしれませんが、わたしのことを嫌うかどうかは他者の課題。幸せになる勇気には嫌われる勇気も、含まれます。
 
不幸の源泉は対人関係にある、逆に言うとそれは、幸福の源泉をもまた対人関係にある
 
他者からどう見られているかばかりを気にかける生き方こそ、私にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです。
 
この人はわたしになにを与えてくれるのか?ではなく、わたしはこの人になにを与えられるか?を考えなければならない。
 
われわれが対人関係の中で困難にぶつかったとき、出口が見えなくなってしまったとき、まず考えるべきは、より大きな共同体の声を聴け、と言う原則です。
 
関係が壊れることだけを怖れて生きるのは、他者のために生きる、不自由な生き方です。
 
アドラー心理学ではあらゆる縦の関係を否定し、すべての対人関係を横の関係とすることを提唱しています
同じではないけれど、対等。主婦とサラリーマンも。
 
ほめるのでもなく、叱るのでもない。横の関係に基づく援助のことを、アドラー心理学では勇気づけと呼んでいます。
 
自らの主観によって、わたしは他者に貢献できている、と思えること。そこではじめて、われわれは自らの価値を実感することができるのです。
 
他者に関心を寄せること、横の関係を築き、勇気づけのアプローチをしていくこと、これらはすべてわたしは誰かの役に立っているという生の実感につながり、回り回ってあなたの生きる勇気につながるのです。
 
ありもしない理想の子ども像と引き比べて、わが子にあれこれ不平不満を抱いてしまう。理想像としての100点から、徐々に減点する。これはまさしく評価の発想。
そうではなく、ありのままのわが子を誰とも比べることなく、ありのままに見て、そこにいてくれることに喜び、感謝していく。理想像から減点するのではなく、ゼロの地点から出発する。そうすれば、存在そのものに声をかけることができるはずです。
 
まずは他者との間に、ひとつでもいいから横の関係を築いていくこと
 
アドラー心理学では徹底して対人関係を問う。そして対人関係の最終目的地は、共同体感覚である。
 
神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵をさずけたまえ
 
交換不能なこのわたしをありのままに受け入れること。これが自己受容です。そして他者に対して無条件の信頼を寄せることが、他者信頼になります。
 
仕事の本質は、他者貢献
 
行為のレベルでしか自分の価値を認めることができていない
自分を行為のレベルで受け入れるのか、存在のレベルで受け入れるか、幸せになる勇気に関わってくる問題でしょう。
 
普通であることの勇気。特別になる必要はない。
 
人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那。
ダンスを踊っている、いま、ここが充実していれば、それでいい
 
過程そのものを、結果と見なすような動き
 
我々はもっと「いま、ここ」だけを真剣に生きるべき。
人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないこと。過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、なにか見えたつもりになること。
 
あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。
 
刹那としての「いま、ここ」を真剣に踊り、真剣に生きましょう。過去も見ないし、未来も見ない。完結した刹那を、ダンスするように生きるのです。誰かと競争する必要もないし、目的地もいりません。踊っていれば、どこかにたどり着くでしょう。
 
世界とはほかの誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない

ダメ親と呼ばれても学年ビリの3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話

おはようございます!

以下の本を読みました!

ダメ親と呼ばれても学年ビリの3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話

ああちゃん さやか さん

 

受験を通じて、バラバラだった家族を1つにしていったああちゃん(お母さん)の話です。ただ、受験はあくまできっかけの1つに過ぎず、ああちゃんが、「このままではいけない」と思い、まずは自ら変わろうとしていく姿が描かれています。

子育てについて、大切なことをたくさんおっしゃっていました!

 

以下、印象に残った点です。

・受験 負けないように、他人を蹴落とす気持ちで押しのけて行くより、思いやりを育てながら助け合って登っていく方がいい

ライバルであってもその人の苦労が報われるように願うーそう願える人が、本当にトップにたてるんじゃないかな

 

・人に親切にするのは、形を変えて、最終的には自分のところに返ってくるから、どんな場合も損をすることはない

 

・あれだけがんばってたんだから、さやかにとって、最前最良の道が必ず用意されると思うんだよね。だから、心配しないで!大丈夫。どこに決まっても、そこが、あなたが行くべき道なんだよ!

 

・怒ること、叱ることは、単なる相手への攻撃である。相手を理解させられない自分の未熟さの表れ。叱らずに、子供に何かをさせる手立てのなさ。知恵のなさ、知識のなさ。

 
・わが子を信じ、理解しようとし、もし親の方が間違っていたと気づいたら、プライドなど捨てて、子どもに自分の間違いを謝る
 
・自分が言いたいことが自由に言える、自分のやりたいことが自由にできる。家庭は、そんな場所でないといけないでしょう
 
・苦しみや試練、寂しさは、生きていれば、自然に、家庭外の世界から与えられます。だから、親が、そうしたものを子どもに与える必要は一切ない
 
・どんなことにも必ず意味がある
 
どんな時でも子どもを信じてあげる(たとえ学校の先生からの評価は低い、悪い子と言われていたとしても)、これって子育ての本筋だなと感じます。
そうした信頼関係を築くことで、子どもが本当に悩んでいる時に、相談してくれ、親はサポートしてあげられるんだな、、と、思いました。
そんな関係を子どもたちと築けるようになりたい!!!

DIE WITH ZEROを読んで

おはようございます。最近、読書ブームが自分の中で沸き起こっています。

そんな中で、以下の本を読みました!書店に行くと、前の方に並べてある話題の本です。

DIE WITH ZERO ビル・パーキンス



お金を使うことに対する考え方が変わります…!

節約が大事、将来のためにいかにお金を貯めていくか、を重視して生きている方、たくさんいらっしゃるかと思います。私もそうでしたが、貯金(投資含む)は、もったいない、と思うようになりました。笑

 

以下、印象に残った点です。

・人生で一番大切な仕事は「思い出作り」

・金の価値を最大化できる年齢は「26~35歳」

・親が財産を分け与えるのは、子どもが26~35歳のときが最善

・金の価値は、加齢と共に低下する

 健康で体力があるうちに、金を使った方がいい

 経験から価値を引き出しやすい年代に、貯蓄をおさえて、金を多めに使う

・金、健康、時間のバランスが人生の満足度を高める。

 金ではなく、健康と時間を重視すること。これが人生の満足度を上げるコツ。

・健康の改善は、人生を大改善する。

・死ぬ前に後悔することトップ2

 ➀勇気を出して、もっと自分に忠実に生きればよかった

 ②働きすぎなければよかった

・タイムバケットをつくる

・人生の終わりが近づいた時に喜びを与えてくれるのは思い出

・今、リスクを取れないなら、いつ取れるのか?

 「安定しているが充実感が得られない道」ではなく、「確実性は低いが経済的、心理的にはるかに大きなやりがいが感じられる大胆な道」

 

健康は、人生を楽しむ上で最も大切なこと。健康でないと、何事もできません。なので、”健康”を意識したいと思いました。運動をしたい!ウォーキングをしたい!

 

そして、人生で一番大切なのは、思い出を作ること。

疲れているから、、とか言いいがちですが、子どもたちや夫、親、友達、、私の周りにいる大切な人たちとたくさんの楽しい思い出を作っていきたい、と心から思いました!

妻のトリセツを読んで

おはようございます。

以下の本を読みました!

妻のトリセツ 黒川伊保子さん

 

日常生活の中で、私ってイライラすること多いよな…怒りっぽいよな…一方で夫はいつも穏やかだな…なんでこんなに違うの?性格の違い?なんてことを考えていました。

この本を読んだら、その理由がよくわかりました!

女性脳と男性脳、全く違う!とっても勉強になりました!

 

以下、印象に残った点です。

・理不尽な不機嫌は、妊娠授乳期に、強く現れ、子育て中ほぼ継続していく。

男に期待し続ける女性は、死ぬまでそれが続くことになる。
怒りは期待の裏返し。
夫一筋、家庭一筋の妻ほどこうなる。
・女性脳は、体験記憶に感情の見出しをつけて収納しているので、一つの出来事をトリガーにして、その見出しをフックに何十年分もの類似記憶を一気に展開する能力がある。
⇒これ、よくわかります~。夫に対して怒っている時、今の出来事とは直接関係ないことまで、記憶が蘇ってきて「あの時もこうだった」と言っていたり、、
理不尽極まりない…。笑
 
・女性脳の最も大きな特徴は、共感欲求が非常に高いこと。共感してもらえるだけで、過剰なストレス信号が沈静化するという機能がある。
⇒これもよくわかります。共感してほしいんですよね。
 
・共感こそが、相手への脳への最大のプレゼント。
・妻と娘が対立したとき、男がとる道は、ただ一つ。あくまでも、妻の味方をすることに尽きる。たとえ、子どもの主張があたっていても、それを、緩やかに認めたうえで、それでも大切なママにそんなひどい口をきくことを、パパは許さない。
妻を侮辱する夫の対応は、娘の未来を幸せにしないし、息子の将来にも影を落としてしまう。
⇒夫に、「こうらしいよ」って早速伝えておきました。笑
 

・女の子にとって、自分が気持ちいい、楽しい、ちやほやされるのが、何よりも大切。

哺乳類のメスは、自分が健康で快適な状態でないと、子孫が残せないからだ。自分を大切にすることは、そのまま種の保存につながる。

女性は自分の体調変化を男性の何十倍も敏感に感じている。わがままに見えるが、これは常に自分を快適な状態においておかなければならないという、責任感からくる言動だ。

⇒たしかに、夫よりも私の方が、圧倒的に、体調変化や暑さ・寒さに敏感。私のわがまま?と思っていたけど、こういう理由があったのか!と思いました。

・心の通信線を使った女性脳の言葉は、時として男性脳の予想をはるかに超えた意味を含んでいることがある。

例 

あっち行って!⇒「あなたのせいでめちゃめちゃ傷ついたの。ちゃんと、謝って、慰めて!」

なんでもない⇒「私、怒っているんですけど?泣いているんですけど?放っておく気なの?」

一人にして⇒「この状況で本当に一人にしたら、絶対に許さない。」

 

⇒これもよくわかります~。めんどくさいやつですね。笑

 

・女性脳の自我
周りの人々すべてが、自分を見ているような気分から、抜け出せない。そのまま社会に出れば、仕事の不出来を指摘されただけなのに、人格を否定されたような気がして、気持ちが揺れる。周りからねぎらわれたり、褒められたりしなければ、自己の存在意義が確認できず、不安になる。結果、誰にも認められるいい子ちゃんを演じて生きることになり、自分を失う。自我が強すぎる女は、本当に生きにくいのである。
客観性を養い、自分が思うほど周りは自分を気にしてはいないことを、娘は思い知らなければならない。
⇒私、自我が強い部分があるな、と思いました。
自分が思うほど、周りは気にしていないことを、意識したい!!
 
・勉強を頑張り、必死に働いたあげく、妻にないがしろにされている父親が行き先では息子は道に迷ってしまう。妻から家で1番偉いのはお父さんと言われる父親がいてこそ、息子はモチベーションが上がる。
⇒夫をちゃんと立てないと!と思いました!
 
・妻が家庭でやってほしくないことは、すなわちセキュリティ問題。
 
・女性脳は、右左脳の連携がいい。直感力にすぐれ、今感じている気持ちがすぐに言葉になる。また、目の前のものを舐めるように見るので、子どもの顔色のちょっとした変化なども見逃さない。対して、男性脳は、空間認知能力が高い。遠くがよく見えるかわりに、目の前の観察力はいたって低い。

 

・夫婦というのは面白い。かつて、永遠の愛を誓ったあの日の煌めくような「愛」とは、似ても似つかないところに「愛」の正体がある。しかし、結婚も35年を超えれば、「理不尽な怒り」と「とほほ(苦笑い)」こそが、暮らしのアクセントであり、生命力の源であり、ふたりにしかわからないきずなになるのである。

⇒最後のこの記述、なんだかあったかい気持ちになりました。

理不尽に怒ってしまうこと、たくさんあるけど、それもまた夫婦の絆になっていく、なっていってほしいな、、、と思いました!

理不尽に怒ってしまった時は、あとでちゃんと謝って、夫の大好きなものを買ってあげようと思いました!

THE THREE HAPPINESS 精神科医が見つけた3つの幸福 を読んで

こんにちは。最近、以下の本を読みました。

「幸せになりたい」というのは全人類が思っていることだと思いますが、精神医学、脳科学に基づいて、実用のための幸福がわかりやすく書かれています。

THE THREE HAPPINESS 精神科医が見つけた3つの幸福 樺沢紫苑さん



初めて知ることも多く、とっても勉強になる本でした!

以下、印象に残っている点をランダムに記載させていただきます。

・自分一人で、「ああ気持ちいい」「清々しい」「調子がいい」と感じるのが、セロトニン的な幸福。

・相手との安定的な人間関係によって生まれるプラスの感情、喜びは、オキシトニン的な幸福。

・何かを得る、達成する喜び・幸せが、ドーパミン的幸福。

ドーパミンは、もっともっとの物質。モチベーションややる気の源であると当時に、依存症等にもつながるため、取り扱いが難しい。

・幸福は「未来」にはない。今、ここ。「現在」に「幸福」がある。

 

・「幸せな人生」を送るためには、「今、楽しい」という感覚が、絶対に必要。

過去を考えると「後悔」し、未来を考えると「不安」になる。「今」にフォーカスすると「幸せ」になる。あなたは、どこにフォーカスして生きますか?

・「健康」は、今、最も感じやすい幸福。その幸福に気づき、その幸福を味わい、その幸福に感謝することが、幸せの第一歩です。

 

・楽しい記憶は、アウトプットすることによって、強化される。書く余裕がなければ、独り言でもOK!

・幸せになるのに、人生を変える必要などない。「幸せ収集能力」を高めることさえできれば、「楽しい」出来事の収集が増えて、「苦しい」出来事はスルーできるようになってくる。

・寝る直前に考えたことが、そのまま記憶される。

・今日一日の印象は「1番楽しかったこと」と「寝る前の感情」で決まる。

 

・大切なのは、あなたにとって「重要な数人」とだけ、「親しい関係」を作ること。家族で数人、友達で2人、職場では、「キーマン」と「相談者」の2人。これだけでいい。

・1日3回、人に親切にする。

・ポジティブ日記(今日あった楽しかったこと日記)、感謝日記、親切日記を組み合わせて書くと効果的。

・受動的娯楽・・テレビ、スマホ、ゲーム

 自己成長につながらない。

能動的娯楽・・読書、楽器の演奏、ダンス、スポーツ

 自己成長につながる。集中力を高める。

 

私自身、一日の終わりに、「今日あった良かったこと」を3つ程度書くようにしています。なので、ポジティブ日記に近いものは、実践できている気がします。感謝日記、親切日記も組み合わせて書いてみたいと思いました!

また、娘と遊ぶ時、一緒にお絵かきをしたり、ピアノを弾いたり、、より能動的な遊びができるといいな、と思いました!

 

意識したい内容なのに、書き切れていない部分もたくさんあります。とっても参考になる本だったので、また半年後くらいに読み返したいなと思いました!