himawari_diary7のブログ

4歳娘・1歳息子の2児のママです♪

限りある時間の使い方を読んで

こんにちは!少し時間が空いてしまいましたが、先月、以下の本を読みました!Amazon等で高評価だったので、面白いのかな~?と思い、買って読んでみました!
限りある時間の使い方 オリバー・パークマンさん著

 
前半は「結局、人生なんて、広い視野(長い歴史)で見ればたいしたことない、しょうもないから、諦めろってことなのか??」と思って、「なんなんだこの本!?」と思っていたのですが、そんなことが言いたい本ではないことがわかるようになると、後半は楽しく読めました!
書いてあること、あてはまることが多い…!
 
今まで読んだ本にも通じることですが、”今ここ”を精一杯、楽しんで生きること、とっても大事だな、と思いました!
 
以下、「そうだな」「ほお~」と思った点の抜粋です!たくさんあります!
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時間を「使う」ようになった僕たちは、「時間をうまく使わなければ」というプレッシャーにさらされる。時間を「無駄に」すると、なんだかすごく悪いことをした気分になる。
 
問題は、こういう時間の捉え方が、人生の難易度を極端に引き上げてしまうことだ。どんなに必死で頑張っても、まだ何か足りない気がする。もっと速く、もっとたくさんやらなければ気がすまない。
僕たちは時間をあるがままに体験することをやめて、「今」という時間を未来のゴールにたどり着くための手段に変えてしまった。今はまだ楽しむ時じゃない。いつかタスクがすっかり片付いたら、そのときこそリラックスして楽しもうとというわけだ。
 
今を生きることができなくなり、未来のことしか考えられなくなるのだ。
 
自分の時間は、あまりにも短い。その事実を直視するのは怖いことだ。
 
現実を直視することは、ほかの何よりも効果的な時間管理術だ。
 
限界を受け入れるというのは、つまり「何もかもはできない」と認めることだ。
 
自分ができる以上のことをやり遂げなければ、満ち足りていると思えない。楽しい活動をいくら詰め込んでも、どこか満足感が得られないのはそのせいだ。
すばらしい体験をすればするほど、「もっとすごい体験をしなければ」と思うようになり、結果的に無力感が増していく。
 
すべてを効率的にこなそうとするのではなく、すべてをこなそうという誘惑に打ち勝つことが必要だったのだ。
 
楽しいことをすべて体験したいという衝動に打ち勝ち、すべてを体験するのは不可能だという現実を受け入れよう。自分に体験できるのはほんのちっぽけな一部分だけだと理解していれば、まだ体験していないことがたくさんあっても焦らなくて済む。自分に許された数少ない体験を、心から楽しめるようになる。
 
人はいつだって、何かを選び、他の多くのものを捨てて、喪失感に耐えなくてはならない。
 
一つひとつの決断は、目移りするほど素敵な可能性のメニューから何かを選べるチャンスなのだ。そう考えるなら、「選べなかった選択肢を奪われた」という被害者意識を持つ必要はまったくない。
 
選べなかった選択肢を惜しむ必要はない。そんなものは、もともと自分のものではなかったのだ。あなたが何を選ぶとしても、家族を養うためにお金を稼ぐ、小説を書く、子どもをお風呂に入れる、ハイキングに出かけて地平線に沈む淡い冬の太陽を眺める、それはけっしてまちがいではない。
本当はなかったかもしれない貴重な時間の過ごし方を、自分自身で選びとった結果なのだから。
 
何かを失うのは、当然のことだ。だから、もう心配するのはやめて、手放そう。
 
進むべき方向はただひとつ、自分が選びとった未来に向かって前進するだけだ。
 
注意を向けることが、献身の始まりである
 
老後の安心を確保したい、やることリストを絶対終わらせたい、そうやって未来をコントロールしようとあがく態度こそ、自分の限界を認めようとしなき僕達の悪い癖だ。本当はどんなに未来を心配しても、時間との戦いに勝てるわけがない。先のことは決して確実にならない。未来はいつでも、伸ばした手の少し先にある
 
未来を良くしようという努力には何の問題もない。本当の問題は、その努力が成功するかどうかを、今この時点で確実に知りたいと思う心理にある
 
過去は変えられず、未来はどうなるかわからない。そう考えれば、古代から多くの思想家が「今ここにある現在」に注意を向けなさいとアドバイスしているのもうなずける。
明日のことを心配してはなりません。明日のことは明日が心配してくれます。
 
何が起ころうと気にしない生き方とは、未来が自分の思い通りになることを求めず、したがって物事が期待通りに進むかどうかに一喜一憂しない生き方だ。
 
「いつか何かをしたら」というマインドの人は、まだ大事なことが達成されていないせいで現在の自分が満たされないのだと考える。
でもそんな考え方をしていたら、いつまで経っても満たされることなんてない。
 
今を生きるとは、今ここから逃れられないという事実を、ただ静かに受け入れることなのかもしれない。
 
もう余暇すらも、やることリストのひとつになぅてしまった。
 
現代に生きる僕たちは、休みを「有意義に使う」とか「無駄にする」という奇妙な考えにすっかり染まっている。将来のためにならない過ごし方をすると、なんだか悪いことをしたような気分になる。
 
余暇を無駄に過ごすことこそ、余暇を無駄にしないための唯一の方法。
何の役にも立たないことに時間を使い、その体験を純粋に楽しむこと。将来に備えて自分を高めるのではなく、ただ何もしないで休むこと。
 
あなたの日々は完全無欠の未来のための準備期間ではない。
 
何らかの達成を目標とするのではなく、ただ活動そのものを楽しむこと。
 
無益なことを追求する自由。何も気にせず、下手くそなことを楽しむ自由。心が洗われますよ。
 
現実の速度をコントロールしようという幻想を捨てた時、現実が本当の意味で自分のものになった。
 
わからないという不快感に耐えれば、解決策が見えてくる。
難しい問題に直面した時、僕たちは未解決の状態に耐えられず、とにかく最速でなんとかしたいと思う。コントロールできないという不快感を逃れるためなら、本質的な解決策でなくても気にしない。
 
忍耐を身につける3つのルール
1.問題がある状態を楽しむ
何も問題がない状態に到達できるのではないかという幻想を抱いている。
すべての問題を解決済みにするという達成不可能な目標を諦めよう。そうすれば、人生とは一つ一つの問題に取組み、それぞれに必要な時間をかけるプロセスであるという事実に気づくはずだ。
 
2.小さな行動を着実に繰り返す
もっとできると思っても途中で思い切ってやめることで、忍耐の筋肉が鍛えられ、何度もプロジェクトに戻ってくることができる。そのほうが長期的に見れば、ずっと高い生産性を維持できるのだ。
 
3.オリジナルは模倣から生まれる
かけがえのない成果を手に入れるのは、たっぷりと時間をかけることが必要なのだ。
 
時間を意味のあることに使うためには、友達と遊んだり、子育てをしたり、ビジネスを立ち上げたり、政治運動に参加したり、
他人と協力することが不可欠だ。
 
時間は自分のものになりすぎないくらいが、実はちょうどいいかもしれないのだ。
 
どんな仕事であれ、それが誰かの状況を少しでも良くするのであれば、人生を費やす価値はある
宇宙的無意味療法は、この壮大な世界における自分のちっぽけさを直視し、受け入れるための招待状だ。4000週間と言うすばらしい贈り物を堪能することは、偉業を成し遂げることを意味しない。
 
人生はどこまで行っても、解けない難題の連続だ。その気づきと共に、私の心には深い平穏の海が広がった。
 
人はある年齢になると、衝撃的なことに、自分がどんな生き方をしようと誰も気にしていないことに気づく。自分のことを気にしているのは自分だけなのである
 
誰に認めてもらわなくても、自分はここにいていい。
 
 
どうせいつまでたっても手探りで、確信のないままやるしかないのだから、尻込みしていても仕方ない。
 
「次にすべきこと」を実行するのが、いつだって、自分にできる唯一のことだからだ。たとえ正解がわからなくても、とにかく次にすべきことをやるしかない。それしかできないということは、裏を返せば、それしかしなくていいということだ。
 
どれだけ多くの人を助けたとか、偉業を成し遂げたとか、そんなことは問題ではない。時間をうまく使ったといえる唯一の基準は、自分に与えられた時間をしっかりと生き、限られた時間と能力の中で、やれることをやったかどうかだ。
 
人の平均寿命は短い。
安心してほしい。到達不可能な理想を、ようやく捨てることができるのだから。どこまでも効率的で、万能で、傷つくことがなく、完璧に自立した人間になることなど、はじめから無理だったと認めていいのだから。
さあ腕まくりをして、自分にできることに取りかかろう。
 
特定の結果を望み、そうならないことを恐れるよりも、次に何が起こるだろうとわくわくしながら生きてみよう。
 
親切な行動は、即座に実行してしまおう。
 
何もしない練習をする。