himawari_diary7のブログ

4歳娘・1歳息子の2児のママです♪

嫌われる勇気を読んで

こんにちは!

最近、読書ブームが続いています!(これからも続けていきたい!)

以下の本を読みました!

嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え 岸見一郎さん 古賀史健さん

 

とっても長くて、読むのに時間がかかった…そして書いてある内容も難しい…!

でも「その通りだよな~」と納得する部分も多く、こんな生き方ができたら、見える世界も変わるんだろうな…と思えました!

以下、印象に残った点です。(生きていく上で大切だな、と思った箇所や「そうだよな~」と思った箇所なので、たくさんあります!)

 

すべての悩みは対人関係の悩みである

 
劣等感は、別に持ってもなにも悪いものではない
劣等コンプレックスは、劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態
 
自らの不幸を特別であるための武器として使っている限り、その人は永遠に不幸を必要とすることになる
 
誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいい
 
健全な劣等感とは、他者との比較の中で生まれるものではなく、理想の自分との比較から生まれる
 
他者の幸福をわたしの負けであるかのようにとらえているから祝福できない
 
人々はわたしの仲間なのだと実感できていれば、世界の見え方はまったく違ったものになります
 
誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらはいずれも負けではありません。
 
行動面の目標が二つ
①自立すること
②社会と調和して暮らせること
 
この行動を支える心理面の目標として
①わたしには能力があるという意識
②人々はわたしの仲間であるという意識
 
ひとりの個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるをえない対人関係。それが人生のタスク。
 
仕事の対人関係で、つまずいてしまったのが、ニートや引きこもりと呼ばれる人たち
 
交友の対人関係
恋愛関係、親子関係
 
なにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか
 
他者から承認される必要はありません。むしろ、承認を求めてはいけない。
 
他者の期待など、満たす必要はない。
 
他者もまた、あなたの期待を満たすために生きているのではない。相手が自分の思うとおりに動いてくれなくても、怒ってはいけない。
これは、我が子も同じ。日常の些細な言動でも自分の希望通りに動いてくれない。
 
相手が自分の希望通りに動いてくれなかったとしてもなお、信じることができるか、愛することができるか。アドラーの語る愛のタスクには、そこまでの問いかけが含まれています。
 
他者の課題は切り捨てる
 
自らの生について、できるのは、自分の信じる最善の道を選ぶこと
その選択について他者がどのような評価を下すのか、これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話。
 
自分を変えることができるのは、自分しかいない
 
他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない
 
嫌われたくないと願うのは私の課題かもしれませんが、わたしのことを嫌うかどうかは他者の課題。幸せになる勇気には嫌われる勇気も、含まれます。
 
不幸の源泉は対人関係にある、逆に言うとそれは、幸福の源泉をもまた対人関係にある
 
他者からどう見られているかばかりを気にかける生き方こそ、私にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです。
 
この人はわたしになにを与えてくれるのか?ではなく、わたしはこの人になにを与えられるか?を考えなければならない。
 
われわれが対人関係の中で困難にぶつかったとき、出口が見えなくなってしまったとき、まず考えるべきは、より大きな共同体の声を聴け、と言う原則です。
 
関係が壊れることだけを怖れて生きるのは、他者のために生きる、不自由な生き方です。
 
アドラー心理学ではあらゆる縦の関係を否定し、すべての対人関係を横の関係とすることを提唱しています
同じではないけれど、対等。主婦とサラリーマンも。
 
ほめるのでもなく、叱るのでもない。横の関係に基づく援助のことを、アドラー心理学では勇気づけと呼んでいます。
 
自らの主観によって、わたしは他者に貢献できている、と思えること。そこではじめて、われわれは自らの価値を実感することができるのです。
 
他者に関心を寄せること、横の関係を築き、勇気づけのアプローチをしていくこと、これらはすべてわたしは誰かの役に立っているという生の実感につながり、回り回ってあなたの生きる勇気につながるのです。
 
ありもしない理想の子ども像と引き比べて、わが子にあれこれ不平不満を抱いてしまう。理想像としての100点から、徐々に減点する。これはまさしく評価の発想。
そうではなく、ありのままのわが子を誰とも比べることなく、ありのままに見て、そこにいてくれることに喜び、感謝していく。理想像から減点するのではなく、ゼロの地点から出発する。そうすれば、存在そのものに声をかけることができるはずです。
 
まずは他者との間に、ひとつでもいいから横の関係を築いていくこと
 
アドラー心理学では徹底して対人関係を問う。そして対人関係の最終目的地は、共同体感覚である。
 
神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵をさずけたまえ
 
交換不能なこのわたしをありのままに受け入れること。これが自己受容です。そして他者に対して無条件の信頼を寄せることが、他者信頼になります。
 
仕事の本質は、他者貢献
 
行為のレベルでしか自分の価値を認めることができていない
自分を行為のレベルで受け入れるのか、存在のレベルで受け入れるか、幸せになる勇気に関わってくる問題でしょう。
 
普通であることの勇気。特別になる必要はない。
 
人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那。
ダンスを踊っている、いま、ここが充実していれば、それでいい
 
過程そのものを、結果と見なすような動き
 
我々はもっと「いま、ここ」だけを真剣に生きるべき。
人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないこと。過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、なにか見えたつもりになること。
 
あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。
 
刹那としての「いま、ここ」を真剣に踊り、真剣に生きましょう。過去も見ないし、未来も見ない。完結した刹那を、ダンスするように生きるのです。誰かと競争する必要もないし、目的地もいりません。踊っていれば、どこかにたどり着くでしょう。
 
世界とはほかの誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない